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2025.11.27

コラム雑談

『歌詞』を聴きたい vs 『メロディ』重視派

目次

  1. 「えっ、この曲ってそんな意味だったの?」という衝撃
  2. 言葉を「読む」ように聴く「歌詞派」の心理
  3. 声を「楽器」として捉える「メロディ派」の感覚
  4. 脳の仕組みが違う? 科学的な視点で見る「聴こえ方」
  5. 洋楽を聴くときのスタンスで分かる、自分のタイプ
  6. 「歌詞派」と「メロディ派」が分かり合うために
  7. まとめ:どちらの耳も、音楽を愛している

1. 「えっ、この曲ってそんな意味だったの?」という衝撃

ドライブ中に流れてきた流行りの曲。助手席の友人がしみじみと言いました。
「やっぱこの曲の歌詞、泣けるよねぇ……主人公の未練が痛いほど伝わってくるわ」

その時、運転席にいたあなたは恐らくこう思ったはずです。
「(えっ……この曲って失恋ソングだったの!? なんかノリが良い曲だと思ってた……)」

音楽という一つの芸術に触れているにもかかわらず、私たちが受け取っている情報は、人によって驚くほど異なります。「歌詞がスッと心に入ってくる人」と、「歌詞はあくまで音の一部として聴こえる人」。

この違いは、単なる好みの問題なのでしょうか? それとも、感性の鋭さの違い? 実はこの議論、掘り下げていくと人間の脳の不思議や、言葉に対する感覚の違いが見えてくる、非常に奥深いテーマなのです。今日は、この永遠のテーマである「歌詞派 vs メロディ派」の論争に、平和的な終止符……とまではいかずとも、お互いを理解するための架け橋を架けてみたいと思います。

 

2. 言葉を「読む」ように聴く「歌詞派」の心理

まず、「歌詞派」の頭の中を覗いてみましょう。彼らにとって音楽とは、ある種の「文学」であり、「メッセージ」です。

イントロが流れ、ボーカルが歌い出した瞬間、彼らの脳内では即座に「言語処理」がスタートします。歌手が発する言葉の一つひとつが、字幕のように脳内でテキスト化され、意味として構築されていきます。彼らにとって、メロディやリズムは、その言葉が持つ感情を増幅させるための「演出装置」に近い役割を果たしていると言っても過言ではないかもしれません(もちろん、メロディを楽しんでいないわけではありませんが)。

「このAメロの歌詞の伏線が、サビで回収されているのが凄い」
「この単語の選び方が、あえて直接的な表現を避けていてエモい」

歌詞派の人が語る感想は、まるで小説や映画のレビューのようです。彼らは音楽を聴くとき、アーティストが紡ぐ「物語」に没入します。そのため、歌詞の内容があまりに陳腐だったり、意味不明だったりすると、どれだけ曲調が良くても「なんか乗れないな……」と冷めてしまう傾向があります。彼らにとって、言葉の意味が通らない音楽は、あらすじの破綻した映画を見せられているような居心地の悪さを感じさせるのです。

 

3. 声を「楽器」として捉える「メロディ派」の感覚

一方で、「メロディ派(サウンド派)」の人たちの感覚は全く異なります。ここが非常に興味深いところなのですが、メロディ派の人にとって、ボーカルの声は「意味を伝達する手段」である以前に、「最高に表現力豊かな楽器の一つ」なのです。

ギター、ベース、ドラム、ピアノ、そして「声」。これらが渾然一体となって作り出す「グルーヴ」や「響き」、「空気感」そのものを楽しんでいます。

ですので、彼らに「この曲の歌詞どう思う?」と聞いても、「え? ごめん、歌詞全然聴いてなかった。でも、サビのハイトーンの抜け感が最高だよね」という答えが返ってきます。これは決して、彼らが歌詞を軽視しているわけでも、理解力が低いわけでもありません。脳のアンテナが「音の響き」や「構造」に対して敏感に反応しているのです。

例えば、歌詞の中で「愛してる」と歌っていたとします。歌詞派は「誰を? どういう状況で?」と背景を想像しますが、メロディ派は「『あ』の母音の開き方が綺麗だ」とか、「『してる』の語尾のビブラートが切ない」といった、音響的な情報としてまず受け取ります。意味は後からついてくる、あるいは、歌詞カードを読んで初めて「へぇ、そうだったのか」と知る。それがメロディ派のデフォルトなのです。

 

4. 脳の仕組みが違う? 科学的な視点で見る「聴こえ方」

さて、なぜこのように真っ二つに分かれるのでしょうか。これには、脳の処理の優先順位が関係しているという説があります。専門的な話を極力噛み砕いて説明しましょう。

人間の脳には、言葉の意味を理解する「言語野」と、音の高さやリズムを処理する「聴覚野」があります。音楽を聴いているとき、脳内ではこの両方が働いているわけですが、人によって「どちらのスイッチが優先的に入るか」に癖があるようなのです。

歌詞派の人は、話し言葉を聞くときと同じように、左脳的な言語処理モードが強く働く傾向があると言われています。一方でメロディ派の人は、右脳的な感覚的・全体的な処理モードが優位になり、言葉を「音響信号」として捉える傾向が強いのかもしれません。

面白いことに、これは固定されたものではなく、状況によって切り替わることもあります。例えば、歌詞派の人でも、疲れ切っている時は歌詞の意味を追うのが億劫になり、ただ音に身を委ねる「メロディ派モード」になることもありますし、その逆も然りです。ただ、基本的な「利き手」ならぬ「利き耳」が存在するのは確かなようです。

 

5. 洋楽を聴くときのスタンスで分かる、自分のタイプ

自分がどちらのタイプか迷ったとき、一番わかりやすいリトマス試験紙となるのが「母国語以外の曲(洋楽など)」を聴くときの反応です。

メロディ派の人は、洋楽に対して全く抵抗がありません。なぜなら、普段日本語の曲を聴いているときも、歌詞を「意味のある音の響き」として捉えている部分が大きいため、言葉の意味がわからなくても、メロディとリズムが良ければ十分に感動できるからです。「意味がわからないからこそ、純粋に音として楽しめる」とさえ言う人もいます。

対して、生粋の歌詞派の人は、洋楽に対して「何と言っているか分からないから、感情移入しづらい」と感じることがあります。あるいは、必死に和訳を調べて、意味を把握してからでないと本当の意味でその曲を好きになれない、というステップを踏むことが多いのです。K-POPなどが流行した際も、まずは「日本語バージョン」を聴きたがるのは歌詞派の人に多い特徴かもしれません。

 

6. 「歌詞派」と「メロディ派」が分かり合うために

ここまで見てきたように、両者の溝は深く、一見すると交わらない平行線のようです。しかし、お互いの聴き方を否定し合うのはあまりに勿体ないことです。「歌詞が入ってこないなんて、感受性がない!」「歌詞ばかり気にするなんて、音楽じゃなくて小説でも読んでればいいのに!」なんて言い争いは、もう終わりにしましょう。

むしろ、お互いの視点を取り入れることで、音楽の楽しみ方は2倍、3倍に広がります。

【メロディ派の方へ】
お気に入りの曲の歌詞カードを、一度じっくり読んでみてください。あなたが大好きなあの切ないメロディには、実はこんなに悲しい別れの言葉が乗っていたと知ることで、その「音」の聴こえ方に深みが増すはずです。「音」と「意味」が合致した時の鳥肌が立つような感覚は、歌詞を意識して初めて味わえるものです。

【歌詞派の方へ】
たまには言葉の意味を追いかけるのをやめて、ボーカルの声を「一本の管楽器」だと思って聴いてみてください。言葉の意味を超えたところにある、息遣い、声のかすれ、リズムの揺らぎ。そこには、言葉では表現しきれない感情の奔流があります。「意味」というフィルターを外すことで、直感的に心が震える体験ができるかもしれません。

 

7. まとめ:どちらの耳も、音楽を愛している

結局のところ、「歌詞派」も「メロディ派」も、音楽という素晴らしい芸術に心を動かされている点では同じです。入り口が違うだけで、目指している場所は「感動」という同じゴールなのです。

次にあの大好きな曲を聴くとき、いつもとは違う耳の使い方を試してみてはいかがでしょうか? きっと、聴き慣れたはずのその曲が、全く新しい表情を見せてくれるはずです。音楽の海は、私たちが思っているよりもずっと深く、そして自由な場所なのですから。

 


 

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