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ヨルシカだけじゃない!変わった形でリリースされたアルバム
ヨルシカの『二人称』に限らない、特殊な作品

目次
はじめに:音楽は「音源」だけじゃなくなった?
皆さんは最近、いつ「CD」を買いましたか? もしかすると、「もう何年も買っていない」「買ったことがない」という方もいらっしゃるかもしれません。スマートフォンでサブスクリプションサービス(いわゆるサブスク)を立ち上げれば、それこそ何千万曲という音楽が、いつでもどこでも聴き放題。そんな時代になりました。
CDが売れない、とは言われて久しいですが、それは決して音楽が売れなくなったわけではありません。むしろ、音楽に触れる「形」が、劇的に変わったのです。ダウンロード販売が主流になり、今やストリーミングが当たり前。そんな中、アーティスト側も、その「届け方」を必死に模索しています。
もちろん、今でもCDは大切なメディアの一つです。ジャケットのアートワーク、歌詞カードの質感、手に入れた時の高揚感。それはサブスクでは味わえない特別な体験です。
しかし、その「CD」という形にすら、いや、音楽は「音源」であるという常識にすら、疑問符を投げかけるようなアーティストたちがいます。その最前線にいるのが、今や絶大な人気を誇る「ヨルシカ」です。
彼らの試みは、私たちリスナーに「音楽を聴くって、どういうことだっけ?」と、根本的な問いを突き付けてきます。今回は、そんなヨルシカの驚くべき作品たちと、彼らに負けず劣らずユニークな方法で音楽を届けてきた世界のアーティストたちをご紹介したいと思います。
衝撃の「音源ゼロ」アルバム、ヨルシカの「二人称」
さて、まず度肝を抜かれたのが、ヨルシカの最新作品「二人称」の発表です。
「最新作品」と聞けば、当然、新しいアルバムやシングルを想像しますよね。美しいメロディ、心に刺さる歌詞、n-bunaさん(ヨルシカのコンポーザー)の巧みなサウンドメイク、suisさん(ヨルシカのボーカル)の透明な歌声…。
ところが、です。この「二人称」、なんと音源が一切収録されていないのです。
「え? 音がないのに音楽作品?」と、頭の上にたくさんの「?」が浮かんだ方も多いでしょう。私も最初はそうでした。では、これは一体何なのか。
公式サイトの情報によれば、この「二人称」は、手紙の形で作られた「小説」なのだそうです。
“詩を書く少年と文学に詳しい「先生」の奇妙な文通”
その物語が、作品のすべてなのです。
しかし、ただの小説ではありません。この物語の中には、これまでにヨルシカがYouTubeなどで発表してきた「へび」「修羅」といった楽曲たちが、重要な要素として登場するのです。
つまり、こういうことではないでしょうか。私たちはこの「小説」を読みながら、作中で言及される楽曲たちを頭の中で(あるいは実際にスマホで再生しながら)鳴らす。すると、物語と音楽が絡み合い、小説だけでも、音楽だけでも得られない、まったく新しい体験が生まれる…。
これは、音楽を「聴かせる」のではなく、リスナーの想像力の中で「鳴らせる」試み。音源という物理的な「モノ」がなくても、これは紛れもなくヨルシカの新しい「アルバム」なのだと、そう言えるのではないでしょうか。音のないアルバムなんて、前代未聞です。
絵をかざすと音楽が流れる?ヨルシカの「幻燈」という試み
ヨルシカの「普通じゃない」リリースは、これが初めてではありません。過去に彼らが発表した「幻燈」という作品も、多くの音楽ファンを驚かせました。
この「幻燈」、形態としては「画集」です。CDショップではなく、書店に並んでいてもおかしくないような、美しい絵が収められた本。しかし、これもまたれっきとしたヨルシカの作品なのです。
仕掛けはこうです。購入者は、この画集に描かれた絵を、スマートフォンのカメラで読み込みます。すると、その絵に対応した楽曲が再生されるのです。(https://sp.universal-music.co.jp/yorushika/gentou/)
これは、「二人称」とは逆に、視覚(絵)と聴覚(音楽)を強烈に結びつける体験です。ただ音楽を聴くだけでなく、「絵を見る」というワンクッションを挟むことで、その曲の世界観にどっぷりと浸かることができます。
さらに驚くべきは、この「幻燈」に収録されている楽曲のうち、半分ほどはサブスクなどのストリーミングサービスで配信されていない、という点です。つまり、この「画集」を手に入れた人だけが、その音楽体験を享受できる。
サブスク全盛の時代に、「聴き放題」をあえて拒否し、「モノ」として所有すること、そして「ひと手間かける」ことの価値を問い直す。ヨルシカのこうした姿勢は、ただ音楽を作るだけでなく、その「届け方」自体を作品の一部として捉えている証拠でしょう。
世界は広い!ヨルシカ以外の「変わったリリース」3選
もちろん、こうした「変わった」試みはヨルシカの専売特許ではありません。世界を見渡せば、音楽の常識を覆そうとしてきたアーティストたちがたくさんいます。音楽に詳しくない方にも「こんなのがあるんだ!」と驚いていただけるような、代表的な例を3つご紹介します。
1. ビョーク(Björk) – アルバムが「アプリ」に!?
アイスランドの歌姫、ビョーク。彼女が2011年に発表した『Biophilia(バイオフィリア)』は、世界初の「アプリ・アルバム」として大きな話題を呼びました。
これは、CDという「モノ」の枠を飛び越え、アルバムそのものがiPadやiPhoneの「アプリ」としてリリースされたのです。リスナーはアプリを起動し、収録曲それぞれのために作られたインタラクティブなゲームや映像を「体験」しながら音楽を聴きます。
「自然」「宇宙」「科学」といったアルバムの壮大なテーマを、ただ聴くだけでなく、触って、遊んで、学ぶことができる。ヨルシカの「幻燈」が「絵」と音楽を結びつけたなら、ビョークは「ゲーム性」や「教育」と音楽を結びつけたのです。音楽はもはや、耳だけで楽しむものではなくなりました。
2. レディオヘッド(Radiohead) – 「値段はあなたが決めてください」
イギリスのロックバンド、レディオヘッドは、そのリリース方法で音楽業界の根幹を揺さぶりました。2007年のアルバム『In Rainbows』のことです。
彼らはこのアルバムを、なんと公式サイトからのダウンロード販売のみで先行リリースしました。そして、その「価格」を、リスナー自身が決める「Pay What You Want(好きな額を払って)」方式にしたのです。
もちろん「0円」(つまり無料)でダウンロードすることも可能でした。音楽はタダで手に入る、という認識が広まりつつあった時代に、あえてリスナーに「あなたはこの音楽にいくら払いますか?」と問いかけたのです。
これは、CDという「モノ」ではなく、音楽データそのものの「価値」を問い直す、社会実験的なリリースでした。結果として、無料ダウンロードを選んだ人も多かった一方で、平均価格は多くの人が予想するより高かったとも言われています。
3. ウータン・クラン(Wu-Tang Clan) – 「世界に1枚だけ」のアルバム
最後は、究極の例です。アメリカのヒップホップグループ、ウータン・クランが2015年に制作した『Once Upon a Time in Shaolin』。
このアルバム、なんと世界に1枚しか存在しません。
彼らはこのアルバムを、一般的なCDや配信ではなく、豪華な装飾が施されたボックスに収め、まるでピカソの絵画のように「一点モノのアート作品」としてオークションに出品したのです。
結果、このアルバムは当時の日本円にして数億円という、とんでもない価格で落札されました。しかも、購入者には「88年間は商用利用(販売や配信)してはならない」という契約まで付いていました。
これは、音楽が使い捨てのように消費される時代への強烈なアンチテーゼです。音楽を「誰でも聴ける」ものから、「たった一人しか聴けない」究極の贅沢品へと変えてしまったのですから。
なぜ彼らは「普通」にリリースしないのか?
ヨルシカ、ビョーク、レディオヘッド、ウータン・クラン…。彼らはなぜ、私たちが慣れ親しんだ「CDを発売し、サブスクで配信する」という「普通」の方法を選ばないのでしょうか。
そこには、いくつかの共通した想いがあるように、私には思えます。
一つは、ストリーミング時代へのカウンターです。「聴き流し」が当たり前になり、1曲再生しては次、また次へと、音楽がまるで背景のように消費されていく。そんな時代だからこそ、作品の価値を問い直す取り組みに精力を傾けるのです。
ヨルシカの「幻燈」のようにひと手間かけさせたり、「二人称」のように小説を読ませたりすることで、リスナーを作品の世界にグッと引き込み、「じっくりと向き合ってほしい」というメッセージを送っているのではないでしょうか。
もう一つは、作品のコンセプトを伝える「器」として、CDが最適とは限らない、ということです。
ビョークが「自然と科学」をテーマにしたとき、最も伝わるのはCDの音源ではなく「アプリ」だった。ヨルシカが「物語」を重視するとき、それは「小説」や「画集」という形をとるべきだった。彼らにとって音楽とは、丸いプラスチックの盤に収まるものだけではなかったのです。
そして最後は、「所有する」という体験の再定義です。
サブスクは便利ですが、「所有」はできません。サービスを解約すれば、聴けなくなってしまいます。「幻燈」のサブスク未配信曲や、ウータン・クランの世界に一つだけのアルバムは、「手に入れる」という喜び、その「モノ」自体が持つ特別な価値を、私たちに思い出させてくれます。
おわりに:音楽は「体験」する時代へ
ヨルシカの「二人称」が突きつけた「音のないアルバム」という挑戦。それは、音楽がもはや単に「聴く」ものではなく、多角的に「体験」するものへと進化していることの、何よりの証拠です。
小説を読んで音楽を想像する。絵をかざして音楽を呼び出す。アプリで遊びながら音楽に触れる。
こうしたアーティストたちのユニークな試みは、私たちリスナーにとっても「新しい楽しみ方」の提案です。ただ受け身で音楽を聴くだけでなく、時には頭を使ったり、手を動かしたりしながら、作品の世界にもっと深く飛び込んでみる。
次にあなたが手にする「アルバム」は、もしかしたらCDではないかもしれません。本かもしれませんし、アプリかもしれません。あるいは、まだ誰も想像もしていないような「何か」かもしれませんね。