ニュース・ブログ


2025.03.30
耳を大切にしておられますか?
〜歌う人のための、静かで鋭い問い〜
歌が上手くなりたい。
もっと自由に、もっと美しく、声を響かせたい──。
そう願うすべての方に、ひとつだけ、非常にシンプルな問いを差し上げます。
耳、ちゃんと大切にされていますか?
この問いを聞いて、「はい」と即答できる方は、どれほどいらっしゃるでしょうか。
たとえば、イヤホンでの長時間再生。
音量MAXの練習。
爆音ライブへの定期的な通い。
こうした習慣が、「歌の成長を妨げる最大の敵」だと、ちゃんとご存知でしょうか?
子どもの頃は、ノイズが気になった
私の話で恐縮ですが──
昔、CDプレイヤーから聴こえる、あの「サーッ」という微かなノイズが気になって仕方ありませんでした。
音楽が止まっている間の、ほんの数秒の“雑音”。
子どもだった私は、それを「不快」とすら感じていました。
でも今は、聴こえません。
あのノイズが、どこに行ったのかも思い出せないほどです。
これは耳が“鍛えられた”のではありません。
耳が、確実に“摩耗した”のです。
当時の私は、今よりもはるかに繊細な音を聴き分けていました。
それを「無垢」や「イノセント」と呼ぶなら、
耳の鋭さこそが、その象徴だったのかもしれません。
耳栓配布のライブ会場に、違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
一部のハードロックなどのライブでは、耳栓が配られると聞きます。
「聴力を守るため」だそうです。配慮は素晴らしいですね。とても現代的です。
……ですが、何かがおかしいと感じませんか?
そもそも“聴力を守らなければ楽しめない音楽”って、どうなんでしょう。
もちろん、心身を揺さぶる音の波に酔いしれる感覚は、わからないでもありません。
ただ──それは、激辛ラーメンの「北極」にハマってしまう人と、少し似ているように思えるのです。
刺激による興奮に溺れ、それを「快感」だと錯覚し、
そして、確実に、寿命を削っていく。
刺激は一瞬の快感をもたらしますが、代償は確実に残ります。
大音量に身体ごと飲み込まれたあと、しばらく耳が「キーン」と鳴るあの感覚。
それを「余韻」と思ってしまった瞬間から、感覚はもう、壊れ始めています。
そのうえで、耳鼻科に行き、保険が適用される。
医療制度としては正しいかもしれません。
でも、自ら壊した耳を“治療”するこの構造に、少しばかりのモヤモヤを覚えてしまうのは、私だけでしょうか?
耳が死ねば、歌は迷子になります
さて。
歌を学んでいる方にとって、耳は単なる「聴くための器官」ではありません。
耳は、歌を判断し、整え、育てるための“センサー”です。
自分の音程がズレている。
声の抜けが悪い。
喉声になっている──
こうしたことに気づけるのは、トレーナーでも、録音機器でもなく、あなた自身の“耳”です。
そしてこの耳が鈍れば、
歌のズレにも、クセにも、気づけなくなっていきます。
つまり、耳を壊すというのは、
自分の歌を“見失う”ことに等しいのです。
耳を守るということは、歌を守るということ
耳は、再生ボタンで楽しむための装置ではありません。
あなたの歌を支える、唯一の「確認機関」です。
それを雑に扱っていて、どうして声が育つでしょう。
耳を壊しておいて、どうして正しいピッチや響きがつかめるでしょうか。
耳を整えることは、一朝一夕ではできません。むしろ、日々の生活の中で少しずつ、丁寧に積み重ねていくものです。
そしてその耳の感覚を育てながら、よりよい発声・より美しい表現を身につけていくには、専門的な指導を受けることが、最も確実で、遠回りのようでいて実はいちばんの近道です。
もし名古屋周辺にお住まいで、これから本格的にボーカルを学びたいとお考えの方には、
オーラボイスボーカルスクールをおすすめいたします。
発声や耳の使い方に丁寧に向き合い、ひとりひとりの声を大切に育てる指導に定評があります。
耳を整え、声を育てること。
その両方にじっくり取り組める環境をお探しの方は、ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。